なぜ「月見る月はこの月の月」なのか?
~9月の行事を学びなおす~
■「季節行事」の意味と由来を知る・9月編
■中秋の名月とは?
暑かった夏もようやくゴールに近づき、いよいよ秋。
秋といえば――スポーツ、読書、美食と楽しみもいろいろだが、お月見も秋が本番だ。「中秋の名月」がやってくるからだ。
「中秋の名月」とは旧暦8月15日の満月のことをいう。
「仲秋の名月」とも書かれるが、正確には「仲秋」は秋を初秋・仲秋・晩秋の3期に分けたうちの2期目にあたり、旧暦8月のことを指すので、8月15日をピンポイントでいう場合は「中秋」が正しいともいう。
今年は9月13日が旧暦8月15日に当たるので、この日の宵に昇ってくる満月が「中秋の名月」ということになる(月の満ち欠けをもとにした旧暦では、おおむね15日はおおむね満月になる。今年は16日にずれ込むようだが、話がややこしくなるので満月として話を進める)。
今から月見酒が楽しみだという方もおられると思うが、なぜ旧暦8月15日の満月が「名月」なのか、考えたことがおありだろうか?
満月は旧暦8月15日ばかりではない。ほぼ毎月のように満月が現れる。
筆者などは生暖かい9月の月より、皓皓(こうこう)とさえ渡る冬の月のほうが美しく思えるのだが、古来、名月といえば中秋ということになっている。
古歌にもこう詠まれている。
“月々に月見る月は多けれど 月見る月はこの月の月”
月づくしになっているので少々わかりにくいかもしれないが、「月(満月)は毎月見られるから一年の間には数多くの月(満月)を見ることにはなるのだけれど、月を見るのならやはりこの月(旧暦8月)の月(満月)だ」といった意味だ。
しかし、どうして「月見る月はこの月の月」なのだろうか。
中秋の名月のお月見について解説したものを読むと、「中国の風俗が日本に伝わったもので、平安貴族の間ではやった」といったことを書いていることが多い。
中国では古代から8月15日の月を愛でる習俗があり、唐時代には多くの詩も作られた。唐の詩人・白楽天(はくらくてん)には「八月十五日の夜、禁中に独り直(とのい)し月に対して元九を憶う」という長い題の作品があり、『源氏物語』須磨の巻には光源氏がこの中の一節を朗唱するシーンがある。
それゆえ、平安時代の貴族たちの月見は唐の文人を模したものだったといって間違いない。だが、日本のお月見はそれだけでは説明がつかない。
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